師走の空は明るくもあり、暗くもあり。
2005年12月2日 日常今朝は、やや寒かった。体の調子はよい。朝から来客、来客で応対。午後から出かけようと思ったが、本業以外に保育園という畑違いの仕事をやっている友人が来訪。雇っている保育士さんたちの年調を手伝ってほしいとのこと。まだ、日にちはたっぷりとあるのに、気の早い男である。1時間もあれば済むかと思ったが、さにあらず。たっぷりと2時間以上はかかった。給料明細はあるものの、全く整理してない状態。二人で笑い転げながら、せっせと記帳作業。電卓はじいて、やっと半分が終了。やれやれだ。「残りは、明日にしようぜ」ということで話がついた。
開業して丸2年がすぎた。給料を払うのがやっとで、赤字がふくらんでいる。本業で稼いだ金をつぎ込んでいるようだ。まあ、どこかで、区切りをつけるだろう。「大丈夫か?」と尋ねれば、にこっと笑うだけ。笑っている分には心配ないだろう。いい歳をこいているが、まだ彼ら夫婦には子供がいない。そのこともあって子供の手伝いをしたいのだろう。
先日は、園で子供たちの写真入りカレンダーをこしらえるので、カラーコピーをとらせて欲しいとやってきた。400枚とりたいという。「一枚30円だぜ」と言うと、負けてくれといい、結局は半額とあいなった。まあ、僕もボランティアと思えば、悔いはのこらない。
それはそうと、最近、子供が犠牲になる事件が相次いでいる。痛ましいことである。尊い命を授かり、まだ未来の夢も見ないうちに、一生を奪われてしまうなんて。あってはならないことだ。やはり、社会のどこかにひずみがあるのだろう。そのひずみが何であるのか、一言で言い表すことはできない。あえて、何かを言うとすれば、「ゆとりのない心を生み出した社会機構」に原因の一端があるのかもしれない。「何はなくとも爪楊枝」というわけにも行かないが、もっと、のんびりと生きてもいいのじゃないかと思う。
つい先ごろ、今年の流行語大賞なるものが発表された。「小泉劇場」とか「想定の範囲内、範囲外」とかいう言葉が選ばれた。今年を印象ずける言葉としては面白いかもしれないが、そんな言葉の背景にある、「人間のギスギス感」には、ほとほと、嫌気がさしている。まあ、人がどう思おうと自由ではあるが。
開業して丸2年がすぎた。給料を払うのがやっとで、赤字がふくらんでいる。本業で稼いだ金をつぎ込んでいるようだ。まあ、どこかで、区切りをつけるだろう。「大丈夫か?」と尋ねれば、にこっと笑うだけ。笑っている分には心配ないだろう。いい歳をこいているが、まだ彼ら夫婦には子供がいない。そのこともあって子供の手伝いをしたいのだろう。
先日は、園で子供たちの写真入りカレンダーをこしらえるので、カラーコピーをとらせて欲しいとやってきた。400枚とりたいという。「一枚30円だぜ」と言うと、負けてくれといい、結局は半額とあいなった。まあ、僕もボランティアと思えば、悔いはのこらない。
それはそうと、最近、子供が犠牲になる事件が相次いでいる。痛ましいことである。尊い命を授かり、まだ未来の夢も見ないうちに、一生を奪われてしまうなんて。あってはならないことだ。やはり、社会のどこかにひずみがあるのだろう。そのひずみが何であるのか、一言で言い表すことはできない。あえて、何かを言うとすれば、「ゆとりのない心を生み出した社会機構」に原因の一端があるのかもしれない。「何はなくとも爪楊枝」というわけにも行かないが、もっと、のんびりと生きてもいいのじゃないかと思う。
つい先ごろ、今年の流行語大賞なるものが発表された。「小泉劇場」とか「想定の範囲内、範囲外」とかいう言葉が選ばれた。今年を印象ずける言葉としては面白いかもしれないが、そんな言葉の背景にある、「人間のギスギス感」には、ほとほと、嫌気がさしている。まあ、人がどう思おうと自由ではあるが。
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