今、スランプの底にいる。
2005年11月23日 日常最近、備忘録(日記らしきもの)を書くことに疲れてきた。5年以上は書きつづっているから、その量は膨大である。ファイリングして残してある。時々眺めては、我が愚かさに苦笑するばかりだ。振り返れば、うぶから始まり、成長過程を経て絶頂期を迎え、以後は平行線をたどり、今は下降線をたどる一方だ。このまま消滅しなければいいのだが?。
何故かと考えてみた。一つは娑婆世界に興味が薄くなってきた。毎日うんざりするような事件等の報道に少なからず嫌気がさしている。二つめに、それなりに齢を重ねてきた(といっても心は青春であるが)からだろう。要するに、心の「ドキドキ」が少なくなった。三つめには、田舎暮らしが長いせいかもしれない。都会の賑やかさや、喧噪からすっかり遠のき、山や田んぼを眺めては、「ふーっつ」とため息をつく。ため息ばかりでは、発想も貧弱だ。四つめは、狭いテリトリーでの仕事が多忙ということかもしれない。まあ、仕事があり、おまんまが食えるだけでも幸せなのかもしれないが。
血気盛んな青年のころは思ったものだ。「俺は都会のゴミゴミの中では暮らしたくない。どこか山奥の誰もいないところに小屋をたてて、そこに住もう。近くに小川でもあれば最高。晴れた日は、畑を作り、川で釣り糸をたれる。夜は蝋燭やランプのあかりで、読書三昧。これに勝る幸せはなかっぺ」と。あえて、贅沢を言えば、(いやいやこれが本命かもしれない)「999のメーテルのような、心優しき乙女と一緒なら言うことなしだ」と。
その夢はもろくも崩れた。と言うより、生来の臆病者かつ寂しがり屋の僕ちゃんには、山奥の暮らしは三日ともたないのが関の山。「ネオンが恋しいぜ」と、一目散に山を下っている僕の姿が見える。まあ、こんな夢はバクのように食うだけでいいか?。
山奥での一人暮らしは反古になったが、それでも人が少ない田舎暮らしにすっかり慣れた。ただ、数少ない人たちとの人情にふれながら、「人が生きるとはどういうことなのか?」とか、「人はいかに生くべきなのか?」とか、アホなことばかり考えている。結論は「すべからく生きる」であるが、その「すべからく」がわからない。やめよう。頭が混乱する。
なかんずく、疲れたときには旅に出るのが一番いいようだ。旅にあって、見ず知らずの人たちの人情、愛、涙に接する。そこで、新しい生の息吹とエネルギーを注入する。かくして、又田舎へ戻る。蓄えたエネルギーがあるうちは、不平不満なく日々を過ごす。エネルギーが切れたら又、旅に出るとよい。
最近の僕は旅へ出ていないようだ。おそらくエネルギーが切れかかっているのだろう。怪しげに灯る夜のネオンでは、即効性はあっても、持続がない。おまけに予想外の出費で、エネルギーも帳消しだ。
やはり旅だ。すべからく旅をしよう。そこにこそ僕の生きる源があるのかもしれない。僕のスランプもそこから脱却できるだろう。
何故かと考えてみた。一つは娑婆世界に興味が薄くなってきた。毎日うんざりするような事件等の報道に少なからず嫌気がさしている。二つめに、それなりに齢を重ねてきた(といっても心は青春であるが)からだろう。要するに、心の「ドキドキ」が少なくなった。三つめには、田舎暮らしが長いせいかもしれない。都会の賑やかさや、喧噪からすっかり遠のき、山や田んぼを眺めては、「ふーっつ」とため息をつく。ため息ばかりでは、発想も貧弱だ。四つめは、狭いテリトリーでの仕事が多忙ということかもしれない。まあ、仕事があり、おまんまが食えるだけでも幸せなのかもしれないが。
血気盛んな青年のころは思ったものだ。「俺は都会のゴミゴミの中では暮らしたくない。どこか山奥の誰もいないところに小屋をたてて、そこに住もう。近くに小川でもあれば最高。晴れた日は、畑を作り、川で釣り糸をたれる。夜は蝋燭やランプのあかりで、読書三昧。これに勝る幸せはなかっぺ」と。あえて、贅沢を言えば、(いやいやこれが本命かもしれない)「999のメーテルのような、心優しき乙女と一緒なら言うことなしだ」と。
その夢はもろくも崩れた。と言うより、生来の臆病者かつ寂しがり屋の僕ちゃんには、山奥の暮らしは三日ともたないのが関の山。「ネオンが恋しいぜ」と、一目散に山を下っている僕の姿が見える。まあ、こんな夢はバクのように食うだけでいいか?。
山奥での一人暮らしは反古になったが、それでも人が少ない田舎暮らしにすっかり慣れた。ただ、数少ない人たちとの人情にふれながら、「人が生きるとはどういうことなのか?」とか、「人はいかに生くべきなのか?」とか、アホなことばかり考えている。結論は「すべからく生きる」であるが、その「すべからく」がわからない。やめよう。頭が混乱する。
なかんずく、疲れたときには旅に出るのが一番いいようだ。旅にあって、見ず知らずの人たちの人情、愛、涙に接する。そこで、新しい生の息吹とエネルギーを注入する。かくして、又田舎へ戻る。蓄えたエネルギーがあるうちは、不平不満なく日々を過ごす。エネルギーが切れたら又、旅に出るとよい。
最近の僕は旅へ出ていないようだ。おそらくエネルギーが切れかかっているのだろう。怪しげに灯る夜のネオンでは、即効性はあっても、持続がない。おまけに予想外の出費で、エネルギーも帳消しだ。
やはり旅だ。すべからく旅をしよう。そこにこそ僕の生きる源があるのかもしれない。僕のスランプもそこから脱却できるだろう。
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