残暑厳しき今日この頃だ。「こんなに暑けりゃ、どうしたらよかざんしょ?」。なんて、冗談を言っている場合ではない。なんでも、新聞によると、世界の多くの山岳地帯の氷河がどんどん縮小傾向にあるそうだ。その氷河が数十年後には消滅するとも言われている。由々しいことだ。「昔の地球を返してくれーーー」と叫びたくなるが、むなしい遠吠えでしかないのか?。
どうも昨今の世の中を見れば、災害やら、事件やら暗いニュースばかりだ。あえて、明るいニュースといえば、あの、大スター、「ヨン様」が来日して、老若の女性達を喜ばしていることだ。確かに彼のスマイルは美しい。とりこになるもうなずける。遠い田舎から、彼を取り巻くフアンの姿をテレビで見たとき、「いやはや、女性達は皆元気だぜ」と、驚きと嫉妬と悲哀を感じた。「皆さーーーん、青い鳥はすぐ目の前にあるんですよ。いるんですよ」と叫びたい。これもむなしい遠吠えとということになるか?。僕はじっと鏡を見た。風前の灯火となりつつある頭髪を眺め、にんまりと笑ってみた。「だめだーーーーこれじゃーー」。
そういえば、僕も昔はアイドルと言われた人たちに、あこがれたものだ。今は皆、齢を重ねて、「アイドル」から「オイドル」に変わっているが、光るものを持っている人は、その光は永遠に輝いている。味があるんだよなーーー。そんな人は僕の心の中では相変わらずアイドルなのだ。
「ひかる」といえば、高校時代の友人を思い出す。一昨日、訪問を受け、一献傾けた。彼は仕事かたわら、絵をたしなみ、ある人から「光るものがある」と言われ、仕事をすっぱり止めた。絵を書くこと一本に絞ったわけだ。僕を含め、友人達は「あいつ、大丈夫かなーーー。生活はできるんか?」と、冷ややかな目で見ていた。彼もさるもの引っかくものだ。ちゃんと、女房が働いて、絵が売れないうちは面倒を見てくれたようだ。泣けるぜ、おっかさん。四つばかり年上の女房だから、おっかさんと言うことにしよう。いやああ、そのおっかさんがまた、綺麗な人だ。彼にはもったいないと、何度も思ったことだ。
その彼と午前2時頃まで、ネオンの町を徘徊した。歌もしこたま歌った。もち、僕は最近お気に入りの中島みゆきさんの「地上の星」。曲も好きだが、この詩がまた好きである。まだ、詩がよく理解できていないが、それいけで歌っている。彼は、なんだったけ。「ギザギザハートの子守唄」といったっけ。この歌もまたいんんだよなーーーー。彼の十八番である。結局、飲んで歌って騒いだだけで、本命の話は何もしていなかった。遊びに来たのは分かるが、何か話したかったのだろう。
何かの話を聞いたのは翌朝。といっても、午前様だったから、当日になるか。見送る一時間前だ。駅の中の喫茶室だ。どんちゃん騒ぎの余韻を残しながら彼が語ったことといえば、やはり、故郷にいる「老いた母」のことだった。彼は長男。都会の画廊と田舎の画廊を年に半々、行き来している。その母は介護施設に入っている。介護レベル5の重症だ。危ない状態にあるようだ。僕も2年前に、ばあ様(といっても、山の神の母であるが)を亡くしたので、色々と、段取りというか、あれこれを聞きたかったのだろう。
生物学的に言えば、人間であれ、あらゆる生命体は子を産み、一定期間そだて、役目を終えると死んでいく。そうやって、未来永劫、生がつながっていくわけだ。まさに、リング、輪廻だ。それでいいのだろう。とはいえ、死へ向かう旅を見送るのは、残ったものにとっては辛く悲しいもの。いずれ我々にもその順番が巡ってくるだろう。
またまた、僕は叫びたい。まだ、役目を終えていない女性の方々に。「どうか、子どもを生み育ててください。なんなら僕にもまだ余力はあります。いつでも、ご用命ください」と。これまた、むなしい遠吠えでしかないのか?。
衆議院選挙の投票も間近。僕が立候補していたら、こう公約を掲げる。「三人以上、子を産んだ家庭の子ども達の教育費は高校までロハだーーーー。ただだーーーー」と。これくらいの思い切った改革をしないと日本は駄目になる。そんな気がする。高齢者に金をかけるのは悪いことではない。ただ、それ以上に、若い人たちに夢や希望を与えられる、環境つくり、子育ての支援にもっと、力を入れるべきだろう。
http://mirunmirun.hp.gaiax.com/
どうも昨今の世の中を見れば、災害やら、事件やら暗いニュースばかりだ。あえて、明るいニュースといえば、あの、大スター、「ヨン様」が来日して、老若の女性達を喜ばしていることだ。確かに彼のスマイルは美しい。とりこになるもうなずける。遠い田舎から、彼を取り巻くフアンの姿をテレビで見たとき、「いやはや、女性達は皆元気だぜ」と、驚きと嫉妬と悲哀を感じた。「皆さーーーん、青い鳥はすぐ目の前にあるんですよ。いるんですよ」と叫びたい。これもむなしい遠吠えとということになるか?。僕はじっと鏡を見た。風前の灯火となりつつある頭髪を眺め、にんまりと笑ってみた。「だめだーーーーこれじゃーー」。
そういえば、僕も昔はアイドルと言われた人たちに、あこがれたものだ。今は皆、齢を重ねて、「アイドル」から「オイドル」に変わっているが、光るものを持っている人は、その光は永遠に輝いている。味があるんだよなーーー。そんな人は僕の心の中では相変わらずアイドルなのだ。
「ひかる」といえば、高校時代の友人を思い出す。一昨日、訪問を受け、一献傾けた。彼は仕事かたわら、絵をたしなみ、ある人から「光るものがある」と言われ、仕事をすっぱり止めた。絵を書くこと一本に絞ったわけだ。僕を含め、友人達は「あいつ、大丈夫かなーーー。生活はできるんか?」と、冷ややかな目で見ていた。彼もさるもの引っかくものだ。ちゃんと、女房が働いて、絵が売れないうちは面倒を見てくれたようだ。泣けるぜ、おっかさん。四つばかり年上の女房だから、おっかさんと言うことにしよう。いやああ、そのおっかさんがまた、綺麗な人だ。彼にはもったいないと、何度も思ったことだ。
その彼と午前2時頃まで、ネオンの町を徘徊した。歌もしこたま歌った。もち、僕は最近お気に入りの中島みゆきさんの「地上の星」。曲も好きだが、この詩がまた好きである。まだ、詩がよく理解できていないが、それいけで歌っている。彼は、なんだったけ。「ギザギザハートの子守唄」といったっけ。この歌もまたいんんだよなーーーー。彼の十八番である。結局、飲んで歌って騒いだだけで、本命の話は何もしていなかった。遊びに来たのは分かるが、何か話したかったのだろう。
何かの話を聞いたのは翌朝。といっても、午前様だったから、当日になるか。見送る一時間前だ。駅の中の喫茶室だ。どんちゃん騒ぎの余韻を残しながら彼が語ったことといえば、やはり、故郷にいる「老いた母」のことだった。彼は長男。都会の画廊と田舎の画廊を年に半々、行き来している。その母は介護施設に入っている。介護レベル5の重症だ。危ない状態にあるようだ。僕も2年前に、ばあ様(といっても、山の神の母であるが)を亡くしたので、色々と、段取りというか、あれこれを聞きたかったのだろう。
生物学的に言えば、人間であれ、あらゆる生命体は子を産み、一定期間そだて、役目を終えると死んでいく。そうやって、未来永劫、生がつながっていくわけだ。まさに、リング、輪廻だ。それでいいのだろう。とはいえ、死へ向かう旅を見送るのは、残ったものにとっては辛く悲しいもの。いずれ我々にもその順番が巡ってくるだろう。
またまた、僕は叫びたい。まだ、役目を終えていない女性の方々に。「どうか、子どもを生み育ててください。なんなら僕にもまだ余力はあります。いつでも、ご用命ください」と。これまた、むなしい遠吠えでしかないのか?。
衆議院選挙の投票も間近。僕が立候補していたら、こう公約を掲げる。「三人以上、子を産んだ家庭の子ども達の教育費は高校までロハだーーーー。ただだーーーー」と。これくらいの思い切った改革をしないと日本は駄目になる。そんな気がする。高齢者に金をかけるのは悪いことではない。ただ、それ以上に、若い人たちに夢や希望を与えられる、環境つくり、子育ての支援にもっと、力を入れるべきだろう。
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