恐怖映画は怖いけど面白い。
2005年6月19日 日常昨晩、土曜日はゆっくりと映画鑑賞にひたった。ゆっくりというより、逃げ腰と言ったほうが正しいか?。「リング」というタイトルの外国版だ。日本版は、既に見ていたので、そう怖くは無いと思っていたが、さにあらず。怖さに変わりは無かった。一人で見たのがいけなかったのかもしれない。
田んぼに囲まれ、周りはシーンとした一軒家の居間。寝そべりながら見ていた。山の神は二階のベッドで、とっくにご就寝中だ。ご苦労様です。テレビの音声だけが聞こえる。が、時々、「ガタッ」と物音がすると、もうおっかなびっくり。ぱっと飛び起きて、防御体制をとる。原因が猫の「もこちゃん」だと分かり、ほっと、胸をなでおろす。
ひとこと苦言を言ってやった。「猫だから、にゃーーーんと声ぐらいは出せよ」と。もこちゃんは知らぬ存ぜずで、一瞥を投げて台所の方へ消えていった。可愛げのないやつだぜ。猫好きの人には申し訳ないが、どうも、僕は猫は苦手である。犬なら大歓迎だ。一緒にテレビ鑑賞をしながら、怖い場面では、ぐっと抱きしめてやると、「もっと、もっと」といわんばかりに、ほほをなめてくれるに違いない。考えすぎかーーーーー?。
リングとは、直訳すると「輪」である。以前、このタイトルを見たとき、「輪の一体何が怖いんだ?」と思った。ストーリーの設定は、のろいのかかったビデオを見た人は一週間後に死ぬ。原因が分からないままに、ビデオが人から人へと伝えられ、見た人が次々と死んでいくという内容だ。この連鎖反応をリングというのだろうか?。子どもの命をまもるべく、一人の女性と恋人が原因解明に乗り出す。さまざまな恐怖を乗り越えて、事件の本質に迫っていく。
前髪を振り乱した女性がテレビの中から出てくるシーンがあった。のっそ、のっそと立ち上がった、僕は思わず目を閉じた。次に、顔のシーンが出てくると思ったからである。母親や、ばあさまが両手で顔を隠して、赤ちゃんに、「いないいないばー」と言いながら、顔をぱっと見せる光景を思いだした。赤ちゃんは、見慣れた顔に出会い、にこっと笑う。それは愛嬌があって、怖くもなんとも無いが、髪を振り乱した女性が、ぱっと顔を上げ、凍てつくような目で「ぎろっ」とにらまれると、それはもう恐怖のあまり心臓まで止まりそうになる。
そんな時、僕はどうするかと言えば、台所、二階へ続く階段、隣の部屋等の電気を全部つけて明るくする。寝るまでそういう状態にしておく。明るければ、恐怖心も和らぐ。電気代がもったいないが、恐怖におびえ続けるよりはましだろう。
人間って不思議なものだ。怖いとわかっていながら、覗きたくなったり、見たくなったりする。この心理はいかに?。思うに、「1パーセントでも、救いの光明がある。更には、フィクションだから怖くないよ」という脳細胞の言葉が、こわごわ見る、覗くという行動を起こさせているのかもしれない。
昔、じいさまや、ばあさまに言われたことがある。「死んでしまった人間はちっとも怖くない。本当に怖いのは、生きている人間じゃぞ」って。小さい頃はそうは思わなかったが、大人になり、娑婆世界の色んなしがらみの中に身を投じた時、確かに。そういう面もあるなーと思う。
僕の好きなもの。モーツアルトと一杯のコーヒーとメーテル。嫌いなもの。地震、雷、台風、蛇、そして、恐怖映画ということになるか?。ただし、恐怖映画は嫌いだけど見たい。うんんん、これは好きということか?。
http://mirunmirun.hp.gaiax.com/
田んぼに囲まれ、周りはシーンとした一軒家の居間。寝そべりながら見ていた。山の神は二階のベッドで、とっくにご就寝中だ。ご苦労様です。テレビの音声だけが聞こえる。が、時々、「ガタッ」と物音がすると、もうおっかなびっくり。ぱっと飛び起きて、防御体制をとる。原因が猫の「もこちゃん」だと分かり、ほっと、胸をなでおろす。
ひとこと苦言を言ってやった。「猫だから、にゃーーーんと声ぐらいは出せよ」と。もこちゃんは知らぬ存ぜずで、一瞥を投げて台所の方へ消えていった。可愛げのないやつだぜ。猫好きの人には申し訳ないが、どうも、僕は猫は苦手である。犬なら大歓迎だ。一緒にテレビ鑑賞をしながら、怖い場面では、ぐっと抱きしめてやると、「もっと、もっと」といわんばかりに、ほほをなめてくれるに違いない。考えすぎかーーーーー?。
リングとは、直訳すると「輪」である。以前、このタイトルを見たとき、「輪の一体何が怖いんだ?」と思った。ストーリーの設定は、のろいのかかったビデオを見た人は一週間後に死ぬ。原因が分からないままに、ビデオが人から人へと伝えられ、見た人が次々と死んでいくという内容だ。この連鎖反応をリングというのだろうか?。子どもの命をまもるべく、一人の女性と恋人が原因解明に乗り出す。さまざまな恐怖を乗り越えて、事件の本質に迫っていく。
前髪を振り乱した女性がテレビの中から出てくるシーンがあった。のっそ、のっそと立ち上がった、僕は思わず目を閉じた。次に、顔のシーンが出てくると思ったからである。母親や、ばあさまが両手で顔を隠して、赤ちゃんに、「いないいないばー」と言いながら、顔をぱっと見せる光景を思いだした。赤ちゃんは、見慣れた顔に出会い、にこっと笑う。それは愛嬌があって、怖くもなんとも無いが、髪を振り乱した女性が、ぱっと顔を上げ、凍てつくような目で「ぎろっ」とにらまれると、それはもう恐怖のあまり心臓まで止まりそうになる。
そんな時、僕はどうするかと言えば、台所、二階へ続く階段、隣の部屋等の電気を全部つけて明るくする。寝るまでそういう状態にしておく。明るければ、恐怖心も和らぐ。電気代がもったいないが、恐怖におびえ続けるよりはましだろう。
人間って不思議なものだ。怖いとわかっていながら、覗きたくなったり、見たくなったりする。この心理はいかに?。思うに、「1パーセントでも、救いの光明がある。更には、フィクションだから怖くないよ」という脳細胞の言葉が、こわごわ見る、覗くという行動を起こさせているのかもしれない。
昔、じいさまや、ばあさまに言われたことがある。「死んでしまった人間はちっとも怖くない。本当に怖いのは、生きている人間じゃぞ」って。小さい頃はそうは思わなかったが、大人になり、娑婆世界の色んなしがらみの中に身を投じた時、確かに。そういう面もあるなーと思う。
僕の好きなもの。モーツアルトと一杯のコーヒーとメーテル。嫌いなもの。地震、雷、台風、蛇、そして、恐怖映画ということになるか?。ただし、恐怖映画は嫌いだけど見たい。うんんん、これは好きということか?。
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