明日から一泊二日の小旅行である。毎年この時期には、十数名の仲間達との旅行が計画される。行き先はたいがい温泉場。今年も例外にもれない。

ふと思った。旅行と旅はどう違うのだろうか?。居所を離れて、どこかへ行くという点では同じである。ただ、旅行と言うと、いかにも現代的で、はいからな感じがする。旅といえば、やじさん、きたさん、山頭火みたいに、諸国を行脚するようなイメージ。なんとなく古風さを感じる。又、目的と言う面から考えると旅行には、しっかりした計画性があり、旅には、そういったビジョンがない。行き当たりばったりの感じである。

僕は、どちらかというと、「旅」というイメージが好きである。時間と金さえあれば、ぶらり旅をしたいところだ。あんぽんたんで、ちゃらんぽらんで、ふうけもんで、能天気の僕は、昔、思ったものだ。晩年になったら、銀河鉄道999のメーテルのような美しい、優しい女性を伴って冥途の旅をしたいものだと。日本国内のみならず、世界中の隅々まで、「愛はいりませんかあーー?、愛はいりませんかあーー?」と、おらびながら旅をする。そんなことを思い、こしらえた詩がある。
           旅

      君は旅が好きだろうか?
      頭に網代傘、ワラ草履をはいて
      手に鈴と応量器をもち、
      ひたすら世界を巡り
      愛を語ろう。

      疲れたら、ひとときの憩いを持とう。
      差し入れられた握り飯をほおばり、
      荒れた御堂をねぐらにしよう。
      みなぎる僕のエネルギーで
      冷えた君の体をあっためよう。

      旅の果て、僕は死を迎えるだろう。
      消えかかる細胞のひとつひとつに、
      君との思い出を深く刻もう。
      閉じかかるまぶたの中に、
      涙に濡れた君の顔が映るだろう。
      愛と悲しみに満ち満ちた君の顔が。
      
僕もロマンチストだったものよ。アニメの中のメーテルならば、「さもありなん」と思えど、昨今の女性の場合は、いかがなものか?。

懐の中に路銭を忍ばせて、いとしい女性と旅をしたと仮定しよう。それもかなりの大金を持ってである。僕たちは、テクテクと歩くだろう。愛は疲れを知らない。そう思っていたが、こんなスピード時代に徒歩とは、これいかに?。「ホテルに泊まりましょうか?」。「そうすべか」となる。みなぎる僕のエネルギーは汗臭くて、「たまんないわ」ということになるか?。消えかかる細胞のひとつ、ひとつに宿るのは苦い思い出ばかり。僕のまぶたに映るのは、にんまり顔の君。「まだ、くたばっていなかったのね」といっている。これじゃああ、あまりに可愛そうだ。ドラマの見すぎだ。ちと、冗談がきつ過ぎたようだ。

ただ、実話だと思うが、テレビで見たことがある。ある老夫婦が、キャンピングカーをねぐらにして、全国各地を旅していた。女房はあまり体が丈夫でなかったが、旦那が、かいがいしく女房の世話をしながら、人生の旅をしていた。これこそまさしく愛ある旅である。涙が流れた。

僕が晩年に求める旅があるとすれば、そんな旅がしたい。ただ、残念ながら、今回行く旅、旅行はそんな種類のものではない。仕事仲間が互いの疲れを慰労しあい、更なる親交を深めようという旅行である。これも又、可なりか?。

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