入院していた母の弟(叔父)が見事に退院した。医者からは、駄目かもしれないと言われていた。母と見舞いに行ったとき、体に取り付けられた管の多さに、蓋然とした。意識はあったので、母と「頑張って、頑張って」と何度も叫ぶと、「うん、うん」とうなずきながら、手を握り返してきた。その時の印象が今も忘れられない。

その叔父が退院し、今は自宅で通院しながら療養している。母が聞いたそうだ。「僕と一緒に見舞いに言ったことを覚えているか?」って。叔父の返事はこうだ。「いや、全然覚えていない」と。

これには僕もまいった。生死の境にあるときは、意識があるようでも、誰かは判別できないこともあるわけだ。回復した時には既に、記憶が彼方へと飛んでいるのだろう。母にとっては今はもう、たった一人の弟である。良かった。良かった。

病は気からと言うように、「生きる」という強い意志力を持ち続けられれば、細胞だって、その意志を受け継ぎ、生きようと努力するに違いない。生命の不思議な面である。

相撲界のプリンスと言われたニ子山親方が亡くなった。五十五歳と言う若さだった。小さい体ながら強靭な足腰で、大きな力士達を「ばった、ばった」と、なぎ倒していく姿に勇気ずけられた人は多いだろう。僕もそうである。心からお悔やみを申し上げます。

長生きすることは、確かに尊いことである。ただ、大事なことは、人生は生きた長さではなくて、いかに命を燃焼させたかである。二子山親方は、まさに、その手本を見せてくれた人である。どんな逆境にあっても、それをはねのけ、最後まで闘い続けた。「まだだ、まだだ」と燃焼させた。その姿に心から、「ありがとう」と叫びたい。

叔父にも、ニ子山親方のように、不屈の精神力をもって、これからの人生を燃焼させて欲しい。

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