あれよ、あれよと言う間に、五月も三分の二を消化した。世の中の喧騒とは裏腹に、静かに僕の日常が過ぎていく。地震の恐怖さえ、今では遠い過去のように思える。やはり、人間って、現金なものよ。事あるごとに目くじらをたてるが、何事もなければ、いつの間にか、それも忘却のかなたへと追いやる。

何かの本で読んだが、人間の脳は忘れる技術を持っている。でなければ、もうとっくに脳はパンクしているはずだ。忘れるから新しいことを吸収できるわけだ。ただ、何かの拍子に、忘れていたことを思い出すことがある。夢を見るときは、そうかもしれない。忘れていたことが夢の中に出てくる。いいことなら良いが、悪夢だったら、一刻も早く忘れたいぜ。表面では忘れたように思えても、潜在意識はちゃんと、覚えているわけか?。脳ってまさに小宇宙である。生成から消滅するまでの記憶をきちんと脳に刻んでいるに違いない。おっと、今日は観念的な話になったようだ。こういう事を書くつもりではなかった。

先ほど遅ればせの朝食をとった。テレビでは、最近、復活したらしい、「隣のばんごはん」とかいう番組をやっていた。突然、大きなしゃもじが、家の中にずかずかと入り込んでくる。夕食をとりながら、団欒している家族は大慌て。晩御飯のおかずが映し出される。僕はふと思った。「みんな、食べているものは同じなんだなーー」と。そりゃあ、当たり前か?。

それにしても、母親は偉いと思う。使い慣れた鍋やコンロで、見事に調理を演じ、テーブルに配膳する。手をかけた料理が美味くないわけが無い。家族でつまめば、美味さは倍増する。まさに、庶民的日常風景だ。映像はそんな光景をあまねく映し出す。

時々、都会の高級レストランで、若い男女、もしくはシニアのカップルが高級料理をつまんでいるシーンを見ることがある。確かにかっこよく、僕も一度といわず何度も経験したい気になる。「状況は最高。後はプロポーズするだけか?ウッシッシー」という風に、事が運べばいいんだがーー。現実は厳しいよなーー。

ところで、僕は何が言いたいのか?自分でも分からなくなった。こういうことかもしれない。田畑に囲まれ、人、一人っ子いない静かな部屋で瞑想していると、庶民的な日常生活と、あでやかな都会で繰り広げられる、格好のよいセレブ的生活。その両方にあこがれている僕の心が見えますってことか?。。片方だけだったら変化が無くて息が詰まるからなーーーーうんんん。

いやいや、僕の本当の心は今、旅に出たいと叫んでいるようだ。そういえば、近々、旅行の話があったっけ・・・・。



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