薔薇の花を差し上げたい人。
2005年5月18日 日常薔薇の花を差し上げたい人。
先日、薔薇の館の住人(大先輩の奥さん)から、電話があり、鉢植えの薔薇を頂くことになった。花より団子がすきな僕だが、人の好意を無駄にしてはなるまいと、即、車で出かけた。先月までは、ほとんど咲いていなかった薔薇が、いやああ、ものの見事に咲き乱れている。薔薇の花で覆われたゲートをくぐると、そこは雪国・・・。おっと、間違い。薔薇の国だった。
一瞬、思った。999のメーテルがいれば、僕はひざまずき、一本の薔薇の花を手折り、愛を込めてメーテルに差し出すだろう。メーテルは言うに違いない。「あら、もったいない。こんない美しい花を手折るなんて、罪深い人」とかなんとか。「いやああ、ごもっともです」と言って、僕はしゅんとなる。いけない。いけない。アニメの見すぎか?。
正直、驚いた。僕のイメージしていた薔薇の花の色は赤か、もしくはピンクがかった白ってところだ。ところが、さにあらず。いろんな色が交じり合った大小の花が、あまたとあり、「これ薔薇ですか?」と尋ねると、「みんな、そうよ」と、何の不思議も無いような顔で答えられた。
確か、誰かの句だったと思うが、「薔薇の木に薔薇の花咲く。何の不思議もなけれど」というのがあった。自然はありのままを、裏切ることなく当たり前に実行する。だから何の不思議も無いというわけだ。薔薇の館を訪れ、この観念を見直さねばなるまいと思った。「薔薇の木に、不思議な花の咲く。大いに不思議だ」ということになるだろう。よくは分からないが、薔薇も品種改良されて、今では何百種、何千種とあるのだろう。
薔薇の花は情熱の代名詞だ。男は情熱の証として、いとしい女性にこの花を手向ける。「あなたの唇は、この花にも増して美しい・・・・」とかなんとか、キザナ言葉で、女性を口説こうとする。女性も、その言葉に、ほろりとくる。たとえ、好きでない男性からの贈り物でも、一応受け取るだろう。その後の薔薇の花の運命は如何に?。僕のあずかり知らぬところだ。ともあれ、世の中は幸せか?。
そうそう、中高年女性をターゲットにした綾小路君麻呂さんの漫談を思い出した。「中高年女性の厚化粧。口紅をつければ、唇だけが若返り、まるで、あぜ道に咲いた彼岸花のよう・・・・」。これはあくまで、漫談の世界での話し。現実とは違うと思いますが、ここで、一応陳謝しておこう。
僕の好きな花といえば、やはりコスモスの花だ。思いでがいくつもある。山口百恵さんの「コスモス」という歌。これもそうだ。娘と母親の思いを歌っているが、何故か、男の僕が歌って涙を流しそうになる。母親は娘だけのものではない。息子である僕のものでもあると、僕は言いたいのだろうか?。分からない・・・。
まだある。道路沿いに植えられた、色とりどりのコスモスの花が風でなびいている様は、どこか郷愁を誘う。あんなにか弱いながらも力強く咲いている姿に、「生きる」ことに対する、ひたむきな情熱を感じるのだ。
そして、今も心に深く残っているコスモスの思い出といえば、数年前に見た、「釈迦内柩唄」という演劇。焼かれた人骨の灰で育った一面のコスモス畑。主役を演じた有馬理恵さんはせっせと、灰を畑に運ぶ。コスモスの一つ、一つの顔はみな違う。色んな人の思いをこめて、咲いている。あまりにも衝撃的なせりふだ。有馬理恵さんは僕が薔薇の花を差しあげたい女優さんである。
先日、薔薇の館の住人(大先輩の奥さん)から、電話があり、鉢植えの薔薇を頂くことになった。花より団子がすきな僕だが、人の好意を無駄にしてはなるまいと、即、車で出かけた。先月までは、ほとんど咲いていなかった薔薇が、いやああ、ものの見事に咲き乱れている。薔薇の花で覆われたゲートをくぐると、そこは雪国・・・。おっと、間違い。薔薇の国だった。
一瞬、思った。999のメーテルがいれば、僕はひざまずき、一本の薔薇の花を手折り、愛を込めてメーテルに差し出すだろう。メーテルは言うに違いない。「あら、もったいない。こんない美しい花を手折るなんて、罪深い人」とかなんとか。「いやああ、ごもっともです」と言って、僕はしゅんとなる。いけない。いけない。アニメの見すぎか?。
正直、驚いた。僕のイメージしていた薔薇の花の色は赤か、もしくはピンクがかった白ってところだ。ところが、さにあらず。いろんな色が交じり合った大小の花が、あまたとあり、「これ薔薇ですか?」と尋ねると、「みんな、そうよ」と、何の不思議も無いような顔で答えられた。
確か、誰かの句だったと思うが、「薔薇の木に薔薇の花咲く。何の不思議もなけれど」というのがあった。自然はありのままを、裏切ることなく当たり前に実行する。だから何の不思議も無いというわけだ。薔薇の館を訪れ、この観念を見直さねばなるまいと思った。「薔薇の木に、不思議な花の咲く。大いに不思議だ」ということになるだろう。よくは分からないが、薔薇も品種改良されて、今では何百種、何千種とあるのだろう。
薔薇の花は情熱の代名詞だ。男は情熱の証として、いとしい女性にこの花を手向ける。「あなたの唇は、この花にも増して美しい・・・・」とかなんとか、キザナ言葉で、女性を口説こうとする。女性も、その言葉に、ほろりとくる。たとえ、好きでない男性からの贈り物でも、一応受け取るだろう。その後の薔薇の花の運命は如何に?。僕のあずかり知らぬところだ。ともあれ、世の中は幸せか?。
そうそう、中高年女性をターゲットにした綾小路君麻呂さんの漫談を思い出した。「中高年女性の厚化粧。口紅をつければ、唇だけが若返り、まるで、あぜ道に咲いた彼岸花のよう・・・・」。これはあくまで、漫談の世界での話し。現実とは違うと思いますが、ここで、一応陳謝しておこう。
僕の好きな花といえば、やはりコスモスの花だ。思いでがいくつもある。山口百恵さんの「コスモス」という歌。これもそうだ。娘と母親の思いを歌っているが、何故か、男の僕が歌って涙を流しそうになる。母親は娘だけのものではない。息子である僕のものでもあると、僕は言いたいのだろうか?。分からない・・・。
まだある。道路沿いに植えられた、色とりどりのコスモスの花が風でなびいている様は、どこか郷愁を誘う。あんなにか弱いながらも力強く咲いている姿に、「生きる」ことに対する、ひたむきな情熱を感じるのだ。
そして、今も心に深く残っているコスモスの思い出といえば、数年前に見た、「釈迦内柩唄」という演劇。焼かれた人骨の灰で育った一面のコスモス畑。主役を演じた有馬理恵さんはせっせと、灰を畑に運ぶ。コスモスの一つ、一つの顔はみな違う。色んな人の思いをこめて、咲いている。あまりにも衝撃的なせりふだ。有馬理恵さんは僕が薔薇の花を差しあげたい女優さんである。
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