ゲーテの詩を紐解いた。
2005年5月14日 日常どんよりとした曇り空。五月の空にはこういう日も多々ある。秋ではないが、なんとなく物憂く感ぜられる。恐らく近まりつつある、梅雨の前ぶれに心が騒いでいるからだろう。とは言え、僕にとって梅雨は嫌いではない。なんとなれば、雨が多いため、外出もある程度制限され、ゆっくりと思考できる時間がもてるからだ。早く来い、来い、梅雨ちゃん。歓迎だぜ!!。
それはそうと、昨夜、ネットであちこち巡回していた時、ある記事というか、メッセージに気が付いた。そこには、「励ましのメールが欲しい」と書いてあった。何があったかは分からない。何か、励ましの妙案はないものかと頭をひねっていた時、ふと、昔読んだ、ゲーテの詩を思い出した。早速、世界名詩集という本を、書棚の奥まったところから取り出した。いやああ、随分とご無沙汰だった。少々、埃をかぶっていたが、紐解いてみると、みずみずしい詩が、あまたと僕の目に飛び込んできた。
目指すは「ゲーテ」の詩。あった。あった。昔、この詩を読んで、いたく感動したものだ。再度、心にきざまんがために記載しておこう。
困難な時期にある友だちたちへ。
この暗い時期にも、
いとしい友よ、私のことばをいれよ。
人生を明るいと思うときも。暗いと思 うときも、
私はけっして人生をののしるまい。
日の輝きと暴雨風とは、
同じ空の違った表情に過ぎない。
運命は、甘いものにせよ、にがいものにせよ、
好ましい糧として役立てよう。
魂は、曲がりくねった小道を行く。
魂のことばを読むことを学びたまえ!。
きょう、魂にとって苦悩であったものを、
あすはもう魂は恵みとしてたたえる。
未熟なものだけが死ぬ。
他のものには神性が教えようとする。
低いものからも、高いものからも、
魂のこもった心を養うために。
あの最後の段階に達して初めて、
私達は自己に安らいを与えることができる。
その境に至って、父によばれつつ、
早くも天を見ることができる。 (高橋健二訳)
いやあ、素晴らしい詩だ。この詩にも、一元的ものの見方が描かれているような気がする。「日の輝きと暴風雨は同じ空の違った表情・・・すべては原子の密度の違い、濃淡の違いだ。喜びも、悲しみも、心も、死も生も、同じ原子の違った表情だ。欲と執着を離れれば、日々の出来事が違った表情で見れるに違いない。
分かったようで、分からないことを書いてしまった。男と女についても同じかもしれない。十人十色である。それぞれ違った表情を持っている。欲と執着を離れて相手を見れば、違った表情に気が付くはずだ。そこから心の平安に至ることもあるだろう。
ますます分からなくなった。それもそのはず。僕なんかすっかり欲の権化と化してしまっている。「幾ばくかでも欲と執着を捨てて、一元的に物事を眺めなさい」。ゲーテはそう言っているのかもしれない。ありがたい詩である。
http://mirunmirun.hp.gaiax.com/
それはそうと、昨夜、ネットであちこち巡回していた時、ある記事というか、メッセージに気が付いた。そこには、「励ましのメールが欲しい」と書いてあった。何があったかは分からない。何か、励ましの妙案はないものかと頭をひねっていた時、ふと、昔読んだ、ゲーテの詩を思い出した。早速、世界名詩集という本を、書棚の奥まったところから取り出した。いやああ、随分とご無沙汰だった。少々、埃をかぶっていたが、紐解いてみると、みずみずしい詩が、あまたと僕の目に飛び込んできた。
目指すは「ゲーテ」の詩。あった。あった。昔、この詩を読んで、いたく感動したものだ。再度、心にきざまんがために記載しておこう。
困難な時期にある友だちたちへ。
この暗い時期にも、
いとしい友よ、私のことばをいれよ。
人生を明るいと思うときも。暗いと思 うときも、
私はけっして人生をののしるまい。
日の輝きと暴雨風とは、
同じ空の違った表情に過ぎない。
運命は、甘いものにせよ、にがいものにせよ、
好ましい糧として役立てよう。
魂は、曲がりくねった小道を行く。
魂のことばを読むことを学びたまえ!。
きょう、魂にとって苦悩であったものを、
あすはもう魂は恵みとしてたたえる。
未熟なものだけが死ぬ。
他のものには神性が教えようとする。
低いものからも、高いものからも、
魂のこもった心を養うために。
あの最後の段階に達して初めて、
私達は自己に安らいを与えることができる。
その境に至って、父によばれつつ、
早くも天を見ることができる。 (高橋健二訳)
いやあ、素晴らしい詩だ。この詩にも、一元的ものの見方が描かれているような気がする。「日の輝きと暴風雨は同じ空の違った表情・・・すべては原子の密度の違い、濃淡の違いだ。喜びも、悲しみも、心も、死も生も、同じ原子の違った表情だ。欲と執着を離れれば、日々の出来事が違った表情で見れるに違いない。
分かったようで、分からないことを書いてしまった。男と女についても同じかもしれない。十人十色である。それぞれ違った表情を持っている。欲と執着を離れて相手を見れば、違った表情に気が付くはずだ。そこから心の平安に至ることもあるだろう。
ますます分からなくなった。それもそのはず。僕なんかすっかり欲の権化と化してしまっている。「幾ばくかでも欲と執着を捨てて、一元的に物事を眺めなさい」。ゲーテはそう言っているのかもしれない。ありがたい詩である。
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