今日から、本格的な仕事体制に入った。どうも、中途半端な連休みたいなのがあると、仕事や、身の回りのペースも狂ってしまう。どこにも行けずじまい。仕方がない。ゆっくりと、部屋の掃除でもするかと思っていたが、それも成就せず。休日は休日で、雑用が山のようにあり、結構疲れる。主夫もつらいぜ。掃除する気になど、とんとなれなかった。こんなとき、代行車ではないが、代行ロボットがいてくれたら有難いと思う。たらふく飯の犬、猫じゃ、癒しにはなっても、掃除あれこれの代用にはならない。

「御主人様、次はどこを、お掃除しましょうか?」。「いやああ、もう十分だ。肩でも揉んでほしいなあーー」。「はい。分かりました。強さはこのくらいでいいでしょうか?」。「いたたたーーー。強度をワンランク落として。いやあ結構、結構。気持がいいぜ」。こういう代行ロボットの出現を誰もが待っているに違いない。

こういう時代が、早くやって来たら良い。昨今の、技術革新には目を見張るものがある。実現するのも、もう間近だろう。「技術立国、日本、万歳!!・・・」と叫びたいところだが、今日、駅の中の本屋さんで、衝撃的内容が書かれた本を見つけた。思わず買おうとしたが、2400円。うんん、時給3時間分か?。立ち読みで、あらすじだけを追えばいいかと消極的になり、買わずじまい。最近、外部収入が少ないから仕方がないか。本当は買いたかった。

本の結論は、既に、地球環境が限界に来ているというもの。温暖化、オゾン層の破壊、北極、南極の永久氷土の崩壊、世界的人口増、農業、工業、いろんな面からの地球環境の限界を説いていた。さもありなんと思う。

自然の恵みに、育まれた昔の地球はどこへ行ってしまったのか?。いみじくも、ロシアの有人ロケットに乗った、ガガーリンが言った。「地球は青かった」と。今もそうなんだろうか?。恐らく、今は、青と灰色がしのぎを削っている状態かもしれない。いずれ、「地球は灰色だった」ということになるのだろう。「灰色の地球を青に戻せ」と、叫んでも手遅れになる公算は強い。

例をあげれば、いとまがない。植物や動物、鳥類などの絶滅種の拡大がその顕著な例だ。身近では、めだかがどこへ行ったかを考えれば分かる。少なくとも10年以上前は、至る所に、めだかがいた。僕ものどかな、あぜ道を、童となり、麦藁帽子をかぶり、めだかすくいに興じたものだ。めだかの為に水槽を新調し、彼らの可憐な泳ぎを見るのが楽しみだった。

今や、あぜ道に沿って走るクリークをのぞいても、めだかの一匹もいない。あえて、何かがいるとすれば、悲しそうな顔をした蛇君、やせ細った蛙君ぐらい
か?。どちらかというと、僕の苦手な生きものばかりだ。綾小路君麻呂さんの言葉ではないが、「皆さん、この現実をどうお考えですか?」と言うことになるだろう。

列車事故、飛行機事故に代表されるように、身近な危険に対する危機管理もまだ十分ではない。「地球はまだ大丈夫」という安易な先入観があるのか、大きな存在に対する危機管理も不十分である。目先のことで精一杯で、手が届きませんと言うのが本音かもしれない。母なる大地が、きっと泣いているだろう。

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