男と女の役割分担はどう変わったのか?。
2005年4月9日この頃みた新聞に、興味深いアンケート結果が出ていた。質問は、共働きに賛成か反対かと言うことなのだが、賛成派が反対派を追い抜いたと言うのだ。確かに昨今の現状を見れば、専業主婦と言われる人たちが少なくなった。今や、女性の社会進出には目を見張るものがある。男女同権、平権の中で、好ましい社会が構築されていくならば、それはそれなりにいいことだろう。
我が父、母のことを思い出す。父は朝早くから家を出て、安い給料であくせくと働いていた。母は、いつも家にいて、あれこれと何かをやっていた。父も母もやる事が一杯あったわけだ。特に母は、炊事、洗濯、掃除、縫い物。そのほとんどを一日がかりの手作業でやっていた。また、近所付き合いをはじめ、僕たちが学校から帰ると宿題まで見てくれた。父は疲れて遅くに帰ってきた。いわゆる、これが従来型の役割分担だ。
そんな父、母の姿を見ながら育ったせいか、女性は家庭という世界を切り盛りすることが仕事なのだと、ずーーーっと思っていた。原始時代だってそうだ。男は槍や斧を持って、森に獲物を捕らえに行き、女と子供は洞穴の中で火を焚き、獲物の到来を「今や遅し」と待っていたわけだ。まさに役割分担だ。今は給料袋かもしれないが、つい最近まで、そのパターンが続いていた。それが理想的な姿と思っていた。
従って、僕は、女性が外の世界にどんどん進出し、男性顔負けの態度で、獲物を捕らえている姿を見るのが嫌いだった。個人的には、今でも反対派の範疇に入るかもしれない。
世の中は変わった。変わったのだ。ここ近年、女性が家庭の中で働く役割が激減した。というのも、高度成長が豊かさを生み、従来の一日がかりの主婦の手作業が、ものの数時間で済んでしまうからだ。女性は何をすればいい?。そこで考えたわけだ。空きすぎた時間を社会的に活用することによって、更なる豊かさを求め、女性としての個を確立したいと・・・・。こういう考えに至るのも、昨今の状況から考えると当然の帰結かもしれない。
以前は反対派に属した男達も、女房が稼ぐ収入を見過ごせなくなり、「共に働き、豊かさを追い求めん。わおーーーー」という、不思議な協力体制に同調し始めたわけだ。というのも、昔みたいに、「サラリーマンは気楽な稼業」という時代が、とっくに終わり、今ではリストラに怯える時代である。女房が働き稼ぐことが、「内助の功」としての役割を生んだ。と同時に、女性として、一人の人間として自らの個の確立を図るという新たな価値観を生んだ。
女性の社会進出、役割分担の崩壊、大いに結構である。男も心して厨房、物干し台に立たねばなるまい。ただ一つ、女性が家庭の中に置き忘れたものがある。そのことが気がかりである。それは子供、子供である。昔ながらの役割分担が良かったところ。それは、母が家にいたからだと思えてならない。恐らく中高年以上の男性も女性も、本音では、そう思っていはしまいか?父親もさることながら、母親の存在がいかに大きいか。
最近は少子化、少子化で日本の未来が危ぶまれている。僕は時々、冗談か本気か分からないが、女性に向かって、「あなた、よかったら、僕の子供を生んでみない?。僕の子種があるうちにね。もちろん、育てるのは君だよ」と言うと、返ってくる言葉は、「いいわよ。月に100万円くらいくれたらね」である。うんんん、これじゃああ、子供は立派には育たないか?。僕が欲しい言葉は、「いいですよ。あなたの子供なら、私が一人で立派に育てます」という返事だ。こういう言葉には僕は弱い。そんな女性なら、きっと、昔型の母親のように子供を育てていくに違いない。とはいえ、そう言わせた僕の責任は、何にもまして重大だろう。
ところで、よほどの愛がないと、そんな言葉は返ってこないだろう。これは春の夢、夢なのだ。今、僕が真剣に女性に何か望むことがあるとすれば、「子供をたくさん生んで、出来るだけ一緒に、長く、そばにいてあげてください」と言う事である。もちろん男性もその協力者であることに変わりがあってはならない。
回りくどく書いてしまったが、要するに、少子化を憂いている一人の男として「女性よ、たくさん子供を生んで、立派に育ててください」と言いたかっただけである。
我が父、母のことを思い出す。父は朝早くから家を出て、安い給料であくせくと働いていた。母は、いつも家にいて、あれこれと何かをやっていた。父も母もやる事が一杯あったわけだ。特に母は、炊事、洗濯、掃除、縫い物。そのほとんどを一日がかりの手作業でやっていた。また、近所付き合いをはじめ、僕たちが学校から帰ると宿題まで見てくれた。父は疲れて遅くに帰ってきた。いわゆる、これが従来型の役割分担だ。
そんな父、母の姿を見ながら育ったせいか、女性は家庭という世界を切り盛りすることが仕事なのだと、ずーーーっと思っていた。原始時代だってそうだ。男は槍や斧を持って、森に獲物を捕らえに行き、女と子供は洞穴の中で火を焚き、獲物の到来を「今や遅し」と待っていたわけだ。まさに役割分担だ。今は給料袋かもしれないが、つい最近まで、そのパターンが続いていた。それが理想的な姿と思っていた。
従って、僕は、女性が外の世界にどんどん進出し、男性顔負けの態度で、獲物を捕らえている姿を見るのが嫌いだった。個人的には、今でも反対派の範疇に入るかもしれない。
世の中は変わった。変わったのだ。ここ近年、女性が家庭の中で働く役割が激減した。というのも、高度成長が豊かさを生み、従来の一日がかりの主婦の手作業が、ものの数時間で済んでしまうからだ。女性は何をすればいい?。そこで考えたわけだ。空きすぎた時間を社会的に活用することによって、更なる豊かさを求め、女性としての個を確立したいと・・・・。こういう考えに至るのも、昨今の状況から考えると当然の帰結かもしれない。
以前は反対派に属した男達も、女房が稼ぐ収入を見過ごせなくなり、「共に働き、豊かさを追い求めん。わおーーーー」という、不思議な協力体制に同調し始めたわけだ。というのも、昔みたいに、「サラリーマンは気楽な稼業」という時代が、とっくに終わり、今ではリストラに怯える時代である。女房が働き稼ぐことが、「内助の功」としての役割を生んだ。と同時に、女性として、一人の人間として自らの個の確立を図るという新たな価値観を生んだ。
女性の社会進出、役割分担の崩壊、大いに結構である。男も心して厨房、物干し台に立たねばなるまい。ただ一つ、女性が家庭の中に置き忘れたものがある。そのことが気がかりである。それは子供、子供である。昔ながらの役割分担が良かったところ。それは、母が家にいたからだと思えてならない。恐らく中高年以上の男性も女性も、本音では、そう思っていはしまいか?父親もさることながら、母親の存在がいかに大きいか。
最近は少子化、少子化で日本の未来が危ぶまれている。僕は時々、冗談か本気か分からないが、女性に向かって、「あなた、よかったら、僕の子供を生んでみない?。僕の子種があるうちにね。もちろん、育てるのは君だよ」と言うと、返ってくる言葉は、「いいわよ。月に100万円くらいくれたらね」である。うんんん、これじゃああ、子供は立派には育たないか?。僕が欲しい言葉は、「いいですよ。あなたの子供なら、私が一人で立派に育てます」という返事だ。こういう言葉には僕は弱い。そんな女性なら、きっと、昔型の母親のように子供を育てていくに違いない。とはいえ、そう言わせた僕の責任は、何にもまして重大だろう。
ところで、よほどの愛がないと、そんな言葉は返ってこないだろう。これは春の夢、夢なのだ。今、僕が真剣に女性に何か望むことがあるとすれば、「子供をたくさん生んで、出来るだけ一緒に、長く、そばにいてあげてください」と言う事である。もちろん男性もその協力者であることに変わりがあってはならない。
回りくどく書いてしまったが、要するに、少子化を憂いている一人の男として「女性よ、たくさん子供を生んで、立派に育ててください」と言いたかっただけである。
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